🎶靈晨靈糧🍇11月4日劉鴻昌牧師:〈先脫鞋子〉

上個月回京都旅遊訪友,住在四条烏丸。走到地下鐵坐了兩站,就來到了室町教會。教會位於御苑附近一個安靜優美的住宅區,始於1894年由美國的長老教會宣教士所創辦。氣氛、讚美詩集、敬拜程序,都和台灣長老教會十分相似,所以我感覺頗爲熟悉。

但是,室町教會有一個很特別的地方,就是進教會之前一定要先脫下鞋子,換上教會室內專用的拖鞋。對我來說,這似乎有兩個意義:

第一、教會是家。日本人回家之前,一定要脫下鞋子,因為家是乾淨、安全的地方,鞋子會從外面帶進灰塵泥土,所以人們一定要在玄關脫掉鞋子來保護家裏的清潔。同樣地,教會是基督徒的家,基督徒有義務來保護教會的清潔乾淨。而清潔乾淨的教會也讓會友感覺自在,就像是在自己家一樣。

第二、教會為聖。在出埃及記裏,有這樣一段記載:

耶和華的使者在荊棘的火焰中向他顯現。摩西觀看,看哪,荊棘在火中焚燒,卻沒有燒燬。摩西說:「我要轉過去看這大異象,這荊棘為何沒有燒燬呢?」耶和華見摩西轉過去看,神就從荊棘裏呼叫他說:「摩西!摩西!」他說:「我在這裏。」神說:「不要靠近這裏。把你腳上的鞋脫下來,因為你所站的地方是聖地」。(出三2~5)

教會是上帝同在的地方。上帝同在之處,就是聖地。在教會玄關脫下鞋子,也代表著預備自己的心,進入敬拜上帝的地方。

一個人要如何進入上帝的教會呢?他必須先洗淨自己的污穢。誰能洗淨我們的污穢呢?耶穌基督。耶穌上十字架之前為門徒洗腳(約十三3~10)、洗去腳上的灰塵泥土。這代表著他在十字架上的工作——他的贖罪寶血,洗淨了我們的污穢罪惡,讓所有信他、跟從他的人,都得以乾淨地進入上帝的家,進入上帝的聖地。

延伸閲讀:〈颱風假

先月友人を訪ねるため京都に戻り、四条烏丸に宿泊しました。地下鉄で2駅離れている御苑近くの静かな住宅街にある室町教会で礼拝しました。この教会は1894年にアメリカの長老教会の宣教師によって設立されました。教会の雰囲気や賛美歌の本、礼拝の手順などは台湾の長老教会とよく似ており、とても親しみを感じました。

ただし、室町教会には一つ特別な点があります。教会に入る前にとりあえず靴を脱いで、教会内専用のスリッパを履かなければなりません。私にとって、これは二重の意味があると思えます。

まず、教会は「家」です。家は清潔で安全な場所なのです。日本人は家に帰る前に必ず玄関で靴を脱ぎます。靴を履いていると外から汚れが入ってしまうので、家の清潔さを守るために靴を脱がなければなりません。教会は同じようにクリスチャンの家です。クリスチャンには教会を清潔に保つ義務があります。また、教会がきれいだと、クリスチャンは自分の家のように楽しめます。

次に、教会は「聖なる地」です。出エジプト記には次のように記されています:

突然、柴の燃える炎の中に、主の使いが現れました。よく見ると、柴には火がついているのに、いつまでも燃え尽きません。 「いったい、どういうことだろう。」不思議に思いながら、そばに近寄りました。その時です。神が燃える柴の中からモーセに呼びかけました。「モーセ、モーセ。」 「は、はい。どなたでしょう。」 「それ以上近寄ってはならない。くつを脱ぎなさい。あなたが立っている場所は聖なる地だ。」(出エジプト記‬ ‭3‬:‭2‬-‭5‬ ‭JCB‬‬)

教会は神様が臨在する場所です。神様が臨在する場所は聖なる地です。教会の入り口で靴を脱ぐということは、神様を礼拝する前に心の準備をすることも意味します。

どうやって心の準備をすることができますか?まず自分自身の汚れを清めなければなりません。誰が私たちの汚れを清めてくれるでしょうか?イエス・キリスト様です。イエスは十字架に向かう前に、弟子たちの足を洗い(ヨハネ13:3-10)、彼らの足の汚れを洗い流しました。これは十字架でのイエスの働きを表しており、イエスの贖いの血が私たちの汚れを洗い流しました。そして罪人であっても、彼を信じて従う者は皆、教会、つまり神様の家、神様の聖所に清く入ることができます。